2013年9月5日木曜日

紀伊半島豪雨から2年行政に甘える地元と情緒的に報道するだけの新聞

三重県には昔から南北問題という経済格差が存在しているが正に以下の記事はそのものである。今まで県南部も土建行政でそれなりに潤い、住民にもそれなりにインフラ整備で恩恵があった。全国の都道府県同様、財政難に陥る県財政によってその『格差』が再び著在化した。記事を読んでかわいそうと思うのは無責任である、むしろ住民に『甘えるな』と考えを改めさせることが現実的である。

 紀伊半島に大きな被害を与えた台風12号の上陸から、三日で二年がたった。熊野川支流・相野谷川の氾濫により、県内でも特に大きな被害を受けた紀宝町。町内の復興が進むなか、輪中堤の一部が決壊した同町高岡地区は、

被災当時の様子を残したままだ。取り残された状況に、住民からは「もう何も変わらない」と消極的な声も聞こえてくる。

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 紀伊半島豪雨では、相野谷川の氾濫で輪中堤の一部が約五十メートルにわたって決壊。団地内二十七戸の住宅は全て水没した。
住民の多くは、被災後に団地を離れ、二年たった現在、残っているのは四世帯七人のみだ
住居を手放して転居した人が多く、団地内に残された家々は雑草が背丈以上に生い茂り、荒れ放題になっている。

 輪中堤を管轄する国土交通省は、台風12号の被害から約一カ月の間に、決壊部分に元の輪中堤と同じ高さの矢板を打ち付ける応急工事で決壊部分をふさいだ。それから約二年。応急工事の状態から、状況は何も変わっていない。

 今も輪中堤内に住む自営業の原准二さん(69)は「町が復興したというニュースを聞くたびにいら立ちを感じる。ここは何も変わっていない」と怒りをあらわにする。

 国交省は当初、堤防内の住宅地を堤防の高さまで埋め立て、その上に新たに住宅を建ててもらう「埋め立て案」を住民に提案した。だが、住民たちはこの案に反対。国交省は昨夏、団地に家を置いたまま転居した人も含め、住民一人一人を訪問し、復旧案の説明や意見聴取をした。

 住民によると、昨夏の個別の意見聴取の後、約一年たった今も国交省や町からは何の報告もないという。原さんは「国交省や町が輪中堤について真剣に考えているように思えない。忘れられているようにすら感じる」と話す

 「これ以上復旧は進まないのでは」という諦めの気持ちも広がっている。輪中堤内に住む男性(63)は「国交省からは音沙汰もないし、もう諦めている。浸水の恐れがあれば荷物を車に積んですぐ逃げるだけだ」。

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 国交省紀南河川国道事務所は「個別で話を聞いたが、住民のなかで意見が割れている。『埋め立て案』を含め、他にどんな方法があるか検討している」と説明する。

 今年も台風シーズンが迫っている。輪中堤内の住民は、豪雨への不安を抱えたまま災害から二年を迎えようとしている。
(五十川由夏)
http://www.isenp.co.jp/news/20130903/news01.htm
 紀伊半島豪雨で、住民一人が死亡した紀宝町大里の津本地区(百四十七世帯、三百二十五人)。避難所の必要性を痛感した住民たちが町に要望し、今年四月に「津本防災センター」が完成した。地域の防災意識が高まる一方、防災センターの維持管理費は住民負担で、非常食などの備蓄も完全には整っていない。

住民は「町は避難所を作って満足するのではなく、最後まで面倒を見てほしい」と話す。

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 二年前の台風12号で、津本地区では約七十世帯が浸水。指定避難所へ続く県道が冠水したため、多くの住民が取り残された。「避難所が遠くて行けない」「津本地区の高台に避難所を作ってほしい」。切実な住民の要望を受け、防災センターの建設が実現した。

 防災センターが建てられたのは、津本地区の高台、海抜七五メートルの場所。土地は自治会で購入した。床面積約百平方メートルに、畳の部屋が三つとトイレが三つ、シャワー室もある。当初の設計図では、トイレは一つ、床はフローリングだったが、住民が「お年寄りはトイレに時間がかかり一つでは足りない」「畳の方が横になりやすい」と町に訴え、設備に反映された。

 防災センター建設をきっかけに、津本地区の防災意識も高まり始めた。住民たちは昨年四月、津本自主防災協議会を設立し、町から委託を受けて、防災センターを運営している。協議会は、炊き出し訓練や防災講演会を防災センターで毎月開催し、住民たちのコミュニケーションの場として活用している。同協議会の崎上野剛生会長(61)は「これまで津本には自主防災組織がなく、ほかの地域に後れを取っていたが、今では一番熱心に活動している」と胸を張る。

 一方で、住民の頭を悩ませる問題もある。同協議会の大峪(おおさこ)やす子事務局長(65)は「光熱費や維持費は町で負担してくれない。住民たちで賄っていけるだろうか」と不安をにじませる。

 防災センターは、約百五十人が避難することを想定している。それにもかかわらず、水があれば炊かずに食べられるアルファ米は百人分、毛布は八十枚にとどまり、避難に必要な備蓄が整っているとは言い難い状況だ。

 同町総務課は「避難所名目の施設であっても、指定管理者に維持費や光熱費を負担してもらうのが通例」と説明。備蓄についても「津本防災センターは一次避難所で、長期間滞在することは想定していない」と話す。

 県道が冠水し、一時孤立した津本地区。すぐに町からの支援が届くとは限らない。大峪事務局長は「孤立する恐れを考えると、生きていくための備蓄はしっかり整備してほしい。町は建設して満足するのではなく、最後まで面倒を見て」と訴えている。
(五十川由夏
http://www.isenp.co.jp/news/20130904/news01.htm

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